大正ロマンとは。自由と自分らしさを追い求め、和と洋が融合した時代。
こんにちは。大阪・滋賀・和歌山を中心に、自然素材の家づくり、注文住宅を手がけている丹陽社、ブログ担当です。
建てたい家のイメージで、度々「大正ロマン」というキーワードを耳にします。
この大正ロマンという言葉ですが、建築ではどのようなことを指すのでしょうか。
皆さんわかりますか?
早速弊社の岡所長に聞いてみましょう!
■激動の時代、異なる文化が融合した時代
イ:岡所長、今日は「大正ロマン」について教えてください。人々が憧れる大正ロマンとは一体何を指しているのですか?
岡:ひと言で言うならば「和洋折衷」ですね。
これには歴史的な背景があります。
大正時代には西洋文明を咀嚼して自分たちのものにしよう、日本人らしく取り入れていこうという動きがありました。新しいものを模倣するだけじゃなく、それまでの日本の文化と融和させる、ということですね。
政治の世界では、明治時代に自由民権運動が起こります。そのあとの大正時代には大正デモクラシーと言われる国民が自由な暮らしを求める運動が起こり、大正14年には普通選挙が行われるようなりました。
しかし自由にやろうという気運があった一方で、物憂い感じもあったのでしょう。第一次世界大戦で景気が盛り上がったのが、戦争が終わって不景気になり、さらに関東大震災があった。新しいものを求める進取の気風と、倦怠的な感じとが同時にあったんですね。
また西洋の文化が入ってきてその男性的な強さと日本の女性的な情緒性とが合わさった時代とも言われています。新しいものの中にも、少し叙情的な暗さが含まれている。その二つの要素が融合している、というのが大正ロマンなのです。
それは建築の世界ですと、洋風の外観で、応接間として洋間があり、奥には畳敷きの居間や寝室がある、ということになります。
イ:建物の雰囲気、造りから違うのですね!
岡:明治時代は完全に「西洋のものがいい!」と言っていた考え方が、だんだん咀嚼されてきたわけですね。そして時代としては明るい面があり、暗く退廃的な面もあった。
少し進んで次の時代、昭和モダンになってくると、鉄筋コンクリートの角張ったデザインが好まれるんです。今も残っている古い近代的なビルってそんな感じですよね。明治・大正の頃はもうちょっと装飾性を持った建物が多い。
■和風と洋風、両方の良さを取り入れる
イ:丹陽社のお客様には、大正ロマンの家を建てたいという方もいらっしゃるようですね。
岡:そうですね。特に男性のお客様に多いですね。
ちょっと男の隠れ家的なところがあるんでしょうね。それを売りにしている注文住宅のメーカーさんもあります。
イ:確かに、どちらかと言えば男性が好みそうな情景を感じます。
岡:女性でも、ああいう雰囲気を好きな方はいらっしゃるでしょうけどね。
大正ロマンの家を建てたいという相談をいただいて、床と腰壁に色をつけたこともありますよ。
イ:それはやはり、ご主人が大正ロマンに憧れがあったのでしょうか。
岡:恐らくそうでしょうね。その方は帰国子女で、小学校の頃からずっとドイツで暮らしていたとおっしゃっていました。日本の文化、日本の住宅にも憧れがあるし、ドイツの質実剛健さもお好きだったようです。
イ:和風と洋風、どちらの文化も好きで取り入れたいというときに、大正ロマンというのは一つ落ち着くポイントなのでしょうね。
岡:そうですね。弊社で手がけている板倉造りというのが、そもそも折衷案。もともと板倉は「倉」ですからね。お米とか宝物など、大事なものを収める場所だったわけです。
それを人間が使おうというのですから、倉と住宅の折衷。そして洋風と和風の折衷でもあるわけです。
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丹陽社では自然素材に徹底的にこだわった注文住宅を手がけていますが、+αできることは無限大です。「大正ロマン」にいたってもそのような施工主さまのご要望を理解し、取り入れ、期待にお応えいたします。
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